Column
何故に私は写真を撮るか
「美しきもの、心やさしく」
先日、バーのカウンターで知人のS氏とカメラ談義をしていた時、彼から「写真は記録だ、記録以外の何ものでもない」と言い切られた。
そして「あのきれいな夕陽の情景をカメラで写しても、あのすばらしい色彩は再現できないし、たとえすばらしいカメラで写しても、想い出という記憶の中の情景の方がはるかに優っている。写真が記録でないなら、あのすばらしい情景はしっかりと目に焼きつけて、想い出とともに心に刻み込めばいいのだ」と言われた。
S氏はライカRやハッセルなどを所有していてメッチャ機械に詳しい人で、それ以前にもレンズの円型絞りで論争になった時、私が「ペンタックス 6×7 ソフト 120o F3.4 や キヨハラソフト VK−70R や コマーシャルエクター F6.3 などは絞りが円型でボケがきれいだ」と言った時、S氏が「あなたの言う円型絞りの定義は何ですか?円に接する多角形は必ず角があって、円ではないのです」とキッパリと言い切られてしまった。私が「プリントを自分の目で見てボケがきれいな円型なら、それでいいんじゃないですか」と答えたところ、「その答えでは他人様が納得できない、きちんと科学的に納得いくように説明して下さい」と詰め寄られてしまい、これがディベートだったら 0対100 で完全な負けでしょう。
そして、S氏がたたみかけるように、「何故、写真を撮るのですか?」と尋ねてきた。私は困ってしまった。今まで、一度もそんな高尚な事や、哲学的な写真の意義など考えた事もなく過ごしてきました。返答に窮して、漠然と「写真がおもしろいから」と答えてしまった。後になって反省した。これではいけない、何故に私は撮影し、写真活動を続けていくのか、他人に説明できる明確な答えを用意していなければいけないだろうと考えて、今までの自分の活動を振り返ってみた。
中学の時、始めて暗室に入った。赤くて薄暗い電球の光の下で、現像液の入った皿に印画紙がユラユラとゆらめきながら、画像がゆっくりと黒く現れて出てきたときは、不思議なものを見る好奇心で頭がいっぱいだった。
高校2年の時、はじめて母親に、一眼レフカメラ、ミノルタSRT−101 と レンズ、ロッコール 50oF1.7 135oF3.5 28oF3.5を買ってもらい、これも中学の時に買ってもらった6p屈折天体望遠鏡に接眼アダプターをカメラボディーに接続して、月や土星の天体写真を撮影していた。天文オタクだった。
でも、赤道儀などの高い機材を買えなかったので、脚は木製で、架台は経緯台と呼ばれる簡素なもので、200倍以上の高倍率になるとビリビリ振動が激しく、ブレブレの写真しか撮れなかったが、天体観察はおもしろかった。
宇宙の神秘を解き明かしたくて天文学者になりたいと思った事もあったが、数学が苦手だったので、すぐにあきらめがついた。暗室で使う現像液や定着液などを作るため、コダック社の D−76などの処方集を見て、メトールミン、ハイドロキノン、ホウ砂、ブロムカリなどの薬品を調合して現像液や定着液を作っていた。現像や定着などの科学反応式などに興味をもちだしたので、化学が好きになり、化学の構造式や反応式に興味を持った。
その影響からか薬学部のある大学へ入学してしまった。
大学生活は写真部とヨット部の二足のワラジで、海やヨットの写真を撮影していた。
卒業してからも、当時はヨット活動に夢中だったので、写真活動はしばらく休眠状態だった。
ある時、仲間から「そんなに長く写真活動していて何か賞を取ったことあるの?」と聞かれた時、「いやぁ、全然」と答えて気まずい思いもした。コンテストで賞金を獲得することは、ガツガツした気持ちが写真に反映してイヤだなと思っていたが、やはりこれは避けては通れないもので、コンテストで賞を取らないことには、世間や周囲が認めてくれないのだろう。そこで、一番規模の大きな フジフォトコンテスト と コダックフォトコンテスト に応募を始めた。
2〜3年は落選続きだったが、4年目位からようやく入選するようになった。しかし、賞金が欲しい、賞状をもらって褒めてもらいたい、周囲に認めてもらいたい、という気持ちは確かにあるが、それだけでは人間性が薄っぺらになるではないか。やはり写真をライフワークとして活動を続けてゆくならば、表現者として作品を製作して、世の中に送り出してゆく行為が大切なのではないか。それには一本筋の通った写真、明確なコンセプトを持った作品作りをしてゆかなければならないだろう。
2003年1月に林忠彦賞の選考会場で急逝された、秋山庄太郎氏は常々「美しきもの・心やさしく」と言っておられました。そして「宿命として戦争や事件を撮るカメラマンもいるが、私は一貫して女優や作家や花などを、だれ彼に指示される事なく自由に心のおもむくままに撮影してきた。そしてその撮影スタイルは今でも変わっていない」
「写真はおもしろい」
プロになって、かけ出しの頃、当時の大スター「原節子」を撮影して以来、80才を過ぎてなお現役のカメラマンで、撮影した女優や作家は数千人、コンテストの審査で目を通した写真は百億を軽く超えるであろうといわれる巨匠が、冬の雪原で猿の群れの中で喜々としてカメラを振り回し、夢中でシャッターを押し撮り終えた後に、「うまく写っているかなぁ?」とポツリとつぶやいた一言が印象的でした。
そう、写真は光、カメラ、レンズ、フィルム、三脚、フード、さまざまな要因が複雑にからみ合って生まれます。シャッターを押した瞬間 何も見えないまっ黒な時間のすき間を経てファインダーに景色が見えたとき、果して上手に撮れているのだろうかと不安につきまとわれます。そして、ラボから返ってきたポジを見るとちょっぴりホッとしたり、もう少し露出補正を明るめ(暗め)にすればよかったのにとか、こんなふうに撮ればよかったのにと悔やんでみたりとかで、結果が出るまでの期待と不安と緊張のワクワク・ドキドキ感はたまりません。
今はやりのデジタルは、成功か失敗かの結果がすぐにわかってしまい、そしてすぐに撮り直しができます。ピントも露出も全部カメラが自動でやってくれるので失敗がありません。だから全くつまらなくて退屈です。
大賞を受賞して、受賞式で表彰されている自分の姿と、現場でカメラを構えてレリーズを握っている自分の姿とどちらが好きかといえば、間違いなくレリーズを握っている自分の方が好きですね。大賞を受賞して、ヤッターという既知の達成感よりも、これからおこる瞬間をスパッと切り取る未知のワクワク・ドキドキの不安と緊張感の方が好きですね。
写真の格言でいう 「BEST SHOT IS NEXT SHOT.」でしょうか。そう、そのシャッターを切る瞬間が「至福の時」なのです。そして、祈りの気持ちを込めて「美しきもの 心やさしく」と念じます。
秋山庄太郎先生のこの言葉がこれからの私の写真活動の原動力になることでしょう。
そして私は何故に写真を撮るか? その答えは、
「写真はおもしろい」・・・・・・