Column

 

作品と作例

 

写真を趣味としている人達のWebサイトを見てみると、あんなカメラ・こんなレンズ、を使った作例を貼り付けているサイトが沢山あります。伝説のレンズ、世間の評判の高いレンズ、珍しいレア物レンズなど、このレンズで撮影するとどんな写りをするんだろうな、とか、自分が次に入手したいけれど、そのレンズの描写はどうなんだとうな、とレンズの資料探しをしているときは大変興味があります。

でも作例写真ばかりを見ていると、何か物足りなさを感じてしまいます。それは、レンズの描写の違い・フィルターやアクセサリー機材の違いで写真が変わる、非常に役に立つ、参考になる、勉強になるのだが、何かが足りない何かが欲しいのだ。

それは、作例はあくまでも作例であって、作品ではないからだ。作例とは(使わない状態から)これを使ったならば、こういう結果になったという証明で、よくフィルターなどのアクセサリーメーカーの広告に、ソフトフィルターや夕景を赤く強調するレッドエンハンサーなど、使用前と使用後の比較写真が載っております。人間の目は比較することにはめっぽう強く、細部までを見比べてしまいます。

そして作例に使う写真には、使用前と使用後がはっきり認識出来る様にその効果が最大となるように撮影します。つまり、作例写真は比較写真で、細部を分析的に見ていきます。レンズマニア達が写真を見て、バックのボケが二線ボケだとか、ビルの直線が歪んでいるから歪曲収差がタル型だとか、糸巻き型だとかは、みんな写真の細部を見て分析的に論じております。このような写真が科学的・分析的に論じられるものが作例写真であり、素材であります。

では、作品とは何か?

上品な物、品性や品格を内に秘めたもの、色々な事が浮かび上がりますが、作品の要件を満たすものは二つ。

一つは、作者名です。

もう一つは題名です。

「作者は誰か?題名は何か?」です。絵画も彫刻も、書も、小説も全て作者名と題名が記載されております。フェルメールの「デルフトの眺望」、ロダンの「考える人」、川端康成の「雪国」、全てそうです。作者が死んで題名が無い作品でも、画商などによって、後から内容に合った題名が付けられたりします。反対に、コンテスト初心者や若手カメラマンなどに「無題」という名のタイトルを付ける人がおりますが、「無題」という画題は作品を否定するもので内容が無いですよ、乏しいですよ、と言っている事と同じで、非常に作品を創作する感性に乏しい行為とも言えます。他人が見ても題名が付かないようなものならば、それは存在価値の無いもので、作品として残っていきません。例えば写真展で、無題@〜無題Iまで展示があったとして、○○さんの撮影した「無題G」という題名の写真は素晴らしいね、などと言われもしないし、記憶にも残りません。

作家とは作品を製作し、発表して世に残す活動をする人です。ですから、作者名と題名は絶対条件です。次に必要条件としては、品位・品性・品格でしょうか?作品として鑑賞者の視線に充分耐えられるだけの内容があるか、完成された画面空間、作者が伝えたい主題(テーマ)・メッセージと、それをどう表現するかの技法です。つまり、「何を(主題)どう撮るか(表現法)」です。

次に作例と作品との違いとは?

作例は「サンプル・見本」です。

作品は「秘すれば花」です。

作品は統合で作例は分析です。ですから、受け手として作品を見る時は統合的に見て下さい。決して二線ボケだとか前ピンだとか、分析的に重箱の隅を突付く様な粗探しをしてはいけません。正面に向き合って、じっくりと内面を見て下さい。それが作品鑑賞です。

画面の中からそこはかとなくかもし出される品性、それが作品です。例えば作例写真では、ソフトフォーカスレンズで開放絞りで撮影して、絞り開放ではこんなに美しいフレアが画面いっぱいに現れますよ、という説明的な撮り方になりますが、作品では抑えて撮ります。料理でいえば”かくし味”です。肉や魚や野菜を調理する時に、スパイスやハーブや調味料を加えますが、これが強過ぎると料理が台無しになります。肉や魚や野菜が主役ならば、スパイスやハーブは脇役であり、客の舌にも解からないだろうという位のもう一味を、”かくし味”として加えたりします。それでお客が解かればグルメ客ですし、解からなければ凡暗客です。

撮影でも色を抑えて撮影するためにベル○アやフォ○テアなどの光彩度のフィルムを使わずに、EPNのような彩度の低い色彩の落ち着いたフィルムを使ったり、画面の中の色が背景と主題で2〜3色以内におさまるようなフレーミングをしたり、光を抑えて撮ったりしますが、画面に押し込んだりしたものがほのかに現れてきたりします。

作品は作者(送り手)がお客(受け手)に伝えたい事、主題(テーマ)・表現法(技法)・品性(かくじ味・メッセージ)などを統合して作り上げたものです。作例が分析的であるとすれば、作品は統合的です。つまり、写真(作品)が何を語りかけているのか、写真の中のメッセージは何か、表現法(技法)と織り混ざって練り上げられ、その中に品性が練りこまれ、統合された作品が、内側に品性を包容しながら作品として世間に生存してゆくでしょう。品性を放ちながら。